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江川英龍(担庵(たんあん))が家臣の娘が嫁にいく時に書き与えた訓言

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静岡県伊豆の国市韮山にある重要文化財の江川邸には何度か行っていますが、何かの用で近くに行くとまた寄りたくなります。

そんな魅力のある江川邸は、江戸時代に旗本として伊豆の代官を努めた42代、900年続く大和源の末裔のお屋敷です。
国指定史跡「韮山役所跡」の中にある国指定重要文化財となっています。

36代江川太郎左衛門(担庵(たんあん))は名代官として知られています。

担庵(江川英龍)1801年~1855年 世界遺産登録された反射炉の築工を始めたのも担庵です。

1855年に亡くなりましたが、その前の年1854年にはペリーが再来日をして、日米和親条約調印もされています。

これは知らなかったのですが、この日に江川邸を案内してくれた方に聞いたのですが、担庵は品川台場も完成させていました。
「お台場」は今は観光客などで賑わうところですが、江戸時代に「台場」を築造」したのが江川担庵です。

台場というのは外国船が多く来るようになったので、海防を強化させるために造られました。

江川英龍36代当主、1801年 – 1855年。号は坦庵。英毅の子。一般には江川太郎左衛門といえば彼を指すことが多い。洋学の導入に貢献し、民政・海防の整備に実績を挙げる。品川台場(お台場)を造り、鉄製の大砲を鋳造するための反射炉も造り始めた。日本で初めてパンを焼いた人物としても知られる。Wikipedia

今回は担庵が家臣の娘が嫁にいくときに書き与えたもの(訓言)を紹介したいと思います。

担庵(たんあん)が家臣の娘が嫁に行くにあたって書き与えた訓言

<参考資料は江川邸に置かれているもの(パンフレット)です>

書き下しでは、「夫を天といたし候ことは、誰も弁え居り~~」と始まるので、分かり難いです。

よくよく夫に仕えるようにしなさい。

「夫に仕えるようにしなさい」ということです。

いつも敬い慎むことを心掛けるように。

家庭内が平和であると気が緩む。馴れ馴れしい様子になってしまう。

男は剛を徳とし、女は柔なる用とするものである。

嫁に行ったときはどんなことにも心を配るつもりでいるのだが、追い追い馴れてくる。

だから気を付けて心を用い、差し出がましいことをしたり、不足があることを言ったりしてはいけない。

堪忍専一(かんにんせんいつ)を心掛け、自分の全てを控えめにするのがよい。

世の中には正しいことと、間違ったことがあるけれど、「これは正しい」「これは間違い」などと口に出して言ったりすれば、自然と声高になり、夫婦の言い争いになってしまう。

自分の考えを曲げても夫に従うのが「女の道」なのである。

夫の留守の時に来客が来ても家に入れるべきではない。

もしよんどころのない事情で座敷まで通すことになっても、必ず誰かを側に置き、客と二人きりで差し向かいなどならないように気を付けるべきである。

人も疑われないようにすれば、他人からそしりを受けることはない。

わずかな手柄におごり高ぶるのは、教養のない婦人の振る舞いである。

不平不満は言ってはならない。

下女たちの話していることを本気で取り上げてはならない。

他人の噂話などにも十分注意しなければならない。

以上簡単に書きましたが、これらの史料はこの時代に生きる女性たちの立場がどのようであったかが少し分かります。

一つ言えることは、この時代に生まれなくて良かったということです。(笑)

江川邸のこと

国指定史跡「韮山役所」の中にあり国指定重要文化財の江川邸の中に入ると、まず大屋根の素晴らしいことに驚きます。
「小屋組づくり」と呼ばれるものだそうです。
部分的には古い中世の建築部材も使われていて、複雑な構造となっています。
幾何学的な木組みは私から見ると「アート」でした。

免責構造になっているので、大きな地震にも耐えてきたということです。

また今までに一度も火事になっていないので、文書類、書画なども残されていて、これらも展示されています。

担庵は名代官として知られていますが、パンの製造も行ったのです。

江川邸に入ると「パン祖の碑」があって、邸内にはカチンカチンのパンを見ることもできます。

主屋に入ってみると分かりますが、大きなかまどがあり、現代でも4月12日のパンの記念日にはこのかまどでパン祖のパンを再現して焼くときにも利用されているそうです。

まとめ

江戸時代、享和元年~の女性像を想像すると自分には務まりません!と素直に認めてしまいます。
担庵が家臣の娘が嫁に行くときに書き与えた「心得」は、今の時代でしたら多くの女性が逃げ出すかも知れませんね。

「自分の考えを曲げても夫に従うのが女の道」だなんて、そんなことあり得ません!(笑)
女性も自分の意見を持って主張するべきですし、言いなりなんて考えられないです。

といっても一般の庶民の女性は考え方も違ってきたのではないかと思います。
江戸時代後期になりますと、女性も外で働く人たちも増えて、かなり強い女性もいたのではないでしょうか。

江川邸
〒414-2143
静岡県伊豆の国市韮山韮山1番地

前にこんな記事も書きました。
伊東市の葛見神社には樹齢千数百年の大クスノキがあります。

天狗の詫び証文は天狗の伝説です。

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