沖縄県北部、塩屋大橋、塩屋海岸などで知られる「塩屋」は、昔々の話ではこの辺りの大生(うふぬし)が塩を作ったのが地名の由来とされているとのこと。
塩屋を舞台として展開される組踊り「花売りの緑」の主人公森川の子(ムイカーヌシー)の遺跡が津波という集落(津波集落は元は現在の平南地区あったということです)にあります。
森川の子(ムイカーヌシー)の遺跡と塩作りの物語、気になったので調べてみました。
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沖縄県国頭郡大宜味村塩屋ムイカーヌシー(森川の子)遺跡人生ドラマ
沖縄八景の一つである塩屋大橋や塩屋海岸を望める小高い丘にある展望台(ハーミンジョー展望台)に、組踊り「花売りの緑」の歌碑が残されています。
塩屋集落の拝所のパワースポットでもあります。
宵も暁も馴れし面影の 立たぬ日やないさめ塩屋の煙
朝から晩まであなたの面影が立たない日はありません。あの塩屋の煙のように。
という「恋の歌」のようですが、組踊り「花売りの緑」は夫婦の愛、親子の愛、深い情愛を描いたものです。
森川の子(ムイカーヌシー)に伝わる伝説
昔、首里の士族の森川の子(ムイカーヌシー)という人物がいました。
都合により首里を離れなければならなくなり、妻子を置いて一人で北へと向かいました。彼が身を落ち着くことができたのは、東シナ海を望む静かな港、大宜味村(おおぎみそん)の津波というところです。
彼はここで塩を作りながら一人で貧しく暮らしていました。
妻(乙樽)は彼の子(鶴松)を生んで間もなかったが、置いてきてしまったのです。
いつの間にか十二年の歳月が流れていきました。
妻の乙樽は成長した鶴松を連れて夫を探していました。そして塩屋というところまで来ることができたもののどうしたら良いのかわからず、母子共に途方にくれていました。
すると、そこ菅笠を被った花売りの男が通りかかったので、彼女は花を買い、その男に菅笠をとってに踊ってくれないかと頼んだが、男は菅笠をとろうとはしませんでした。
それどころか男は逃げ出してしまったのです。男は森川の子(ムイカーヌシー)でした。
彼は妻子に会いたいと思っていたが、現実に思いがけずその姿を目の前にすると、心が乱れて狼狽してしまいました。
士族の者であったのに、貧しく落ちぶれて花売りをしていたからです。
「こんな自分を妻や子に知られたくない」そう思い、彼は夢中でその場から逃げました。
妻は女の勘で、花売りのその男が、探していた夫であると思いました。
妻と子は必死でその男を追って、十二年ぶりに夫と再会をしました。
これが「花売りの緑」の話です。(参考・民話と伝説 南九州・沖縄)
夫を探し続けた妻の心境を歌った歌碑はこちらです。
Googleマップより 森川の子遺跡 沖縄県国頭郡大宜味村塩屋
森川の子(ムイカーヌシー)が製塩の技法を広めたと言われている
伝承では森川の子(ムイカーヌシー)が塩屋の集落に製塩の技法を広めたと言われ、廃校になっている旧塩屋小学校の北側に森川の子(ムイカーヌシー)の拝所が残されているそうです。
神アシャギというのは集落で神祭りを行っていた所。現在残されているのは1997年に改装されたコンクリートの建物となっています。
郷土を愛する心
このような昔話は郷土を思う気持ち、愛する心によって伝わり続けています。
沖縄では終戦後に荒れ果てた社会の環境に子供達の心が荒み、砂漠のようにひからびていたといいます。
そのようなときに出版社である未来社が「日本の民話」などを多くの人が読みやすいように書かれたものを出版されました。
私は古い本を中心に読んでいますが、遠い祖先の描いたものを感じ、身近で起きたであろう物語を想像する楽しみができました。
そして何百年経っても同じようなことが繰り返されることに心が痛むこともあります。子供の頃に読んだ童話では欲深い人は必ず罰せられていました。傷つくのはいつも末端で生活する人々。ー世界の争いごと、早く治まりますようにー
組踊「花売りの緑」ですが、夫婦愛、親子の愛を描いています。
もともと首里の士族であった森川の子(ムイカーヌシー)でしたが、妻と子を置いて出てしまいました。家出!?
東シナ海を望む静かな港、大宜味村(おおぎみそん)で花売りや塩作りをして過ごしていましたが、12年という月日が経ち、夫を探すために旅に出た妻と子に偶然再会します。
再会した親子は首里に戻ったということです。
おわりに
全国的には特別に有名な話ではないかもしれませんが、周辺に住んでいる方は「こんな話が残されていたのだ」と思っていただければ嬉しいです。
歌碑が立っているハーミンゾー(神門)という小高い丘は塩屋集落の拝所であり、パワースポットとなっているそうです。
奥さんに対する愛情やご主人に対する愛情、親子の愛で悩んでいる方は、昔々から伝わる名作を感じに行ってみるのもいいかもしれませんね。
日本の風土から生まれた信仰は、生きていくための知恵なのかもしれませんが、掴むことができない心の中の支柱なのでしょうね。
どこかで小さな祠を見つけたら、もしかしたら、そこには物語が残されているかもしれません。
きっと新たな発見があるでしょう。探ってみるとおもしろいと思います。