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宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる「天岩戸」(あまのいわと)伝説

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天岩戸(あまのいわと)神話は神道の神話で最もよく知られたものの一つではないでしょうか。

宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる「天岩戸」のお話をご紹介します。

「古事記」や「日本書紀」に登場するこの神話は、アメノウズメノミコト、タカミムスビノミコト、アメノコヤネノミコトの3神を中心に八百万の神々集まり、巨大な岩で入り口をふさいだ天照大神を洞窟から誘い出そうとする話です。

アメノウズメは天照大神を誘い出すために、他の神々を笑わせるような暗示的な踊りを披露し、さらに乳をあらわに出して踊りました。

天照大神はその音と不思議な光景に感動し、好奇心と熱望に悩まされながら洞窟の扉を開けて外を覗いたので、他の神々は洞窟の入り口を塞いでいた岩を取り除き中に潜り込むことができました。

天岩戸の神話は、希望の物語として捉えられ、困難な状況にあっても、愛と感動的な行動によって、力強い変化をもたらすことができることを思い出させてくれるとも言われています。

宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる「天岩戸」(あまのいわと)伝説

宮崎県西臼杵郡高千穂町には天岩戸神社もあり、天照大神が隠れたとされる洞窟がご神体となって祀られています。

※アマテラスとスサノヲの誓約(うけひ)(古事記に基づく)

天照大御神(アマテラスオオミカミ)スサノオの姉

須佐之男命(スサノオノミコト)アマテラスの弟

 

アマテラスとスサノヲの誓約(古事記に基づく)Wikipedia

宮崎県西臼杵郡高千穂町に伝わる「天岩戸」(あまのいわと)

須佐之男命(スサノオノミコト)は乱暴者でした。姉君の天照大御神(アマテラスオオミカミ)はそれでも弟である須佐之男命(スサノオノミコト)をかばっていました。

姉が大切にしている田の畔(あぜ)を踏みつぶし、溝を埋めてしまい、周囲には大小便をし散らかすなどなど酷いことをしても、優しい姉は弟をかばっていました。

しかし、スサノオノミコトは反省もしないで、乱暴は酷くなっていくばかり。

天照大神が神に献上する着物を機織女に織らせているときに、スサノオノミコトはまだら模様の馬の皮をはいでしまい、それを機織場の棟に穴を開けて投げ落としたのです。機織女は驚いてしまい、命を落としました。

これには天照大神も恐ろしくなって天岩屋戸(岩の扉の洞窟)に入ってしまいました。

それからというものは、高天原(たかまがはら)(天照大神が支配する天の国)も真っ暗になり、葦原の中国(あしはらのなかつに)(高天原と黄泉の国の中間である地上の世界のこと)も闇の中になりました。

昼のない夜ばかりが続き、悪いことばかりが起こり始めました。

そこで困った八百万の神々は、天安河原に集まりどうしたら良いのか思金の神(おもいかねのかみ)に考えさせることに。

それで天岩戸の前で不死鳥である長鳴き鳥を集めて鳴かせたり、鏡を作らせたりといろいろなことをしました。

玉祖尊(たまのおやのみこと)には五百もの勾玉(まがたま)の玉の緒の飾りを作らせました。

まさきの葛を髪飾りにして、たすきをかけたアメノウズメが手に小竹葉を持ち、空の桶を伏せてその上に乗り、踏みとどろかせました。

アメノウズメはしだいに神懸かりなり、踊りは激しくなって乳もあらわに出す始末。そして裳の紐(ものひも)を垂らして踊り、神々は大笑い。

天照大神は何事だと思い、天岩戸をそうっと少し開けてみました。

そのときに天照大神は鏡に写った自分の姿を見て、もう一人日の神がいるのかと不審に思い、そろそろと戸から出ようとしました。

天岩戸の横で待ち受けていた天手力男神(アメノタヂカラオノカミ)が天照大神の手をとって引き出すやいなや、別の神が注連縄(しめなわ)を天岩戸の入り口に渡して入られないようにしました。

それからは高天原(たかまがはら)も葦原の中国(あしはらのなかつに)ももとの明るさを取り戻すことができました。

八百万の神々は相談をしてスサノオノミコトに罪を償わせるため貢ぎ物を出させ、ひげを切り、手足の爪を抜いて、高天原(たかまがはら)から追放してしまったのでした。(参考・民話と伝説)

タケハヤスサノオノミコトの乱行の数々

スサノオは乱行を繰り返す暴れん坊のようでした。

※御殿に糞をまき散らす。

※田んぼのあぜを踏みつぶす。

※天照大神が神に献上する着物を機織女に織らせているときに、スサノオはまだら模様の馬の皮をはいでしまい、それを機織場の棟に穴を開けて投げ落とした。機織女は驚いてしまい、命を落とした。

Googleマップより 宮崎県西臼杵郡高千穂町「天岩戸神社」

天岩戸神社の西本宮
天岩戸を拝観出来るので、東本宮と違って人が多いですが、西本宮は西本宮で、立派な社殿があり、すごくいい雰囲気です(^^)

お薦めは、天岩戸御案内(無料)に参加されると良いですよ
時間が決まっているので、その時間に社務所前に居れば、権禰宜さんかな?案内をしてくれます

拝殿横から天岩戸が見える拝観場所へ!!ココは写真撮影が出来ないので実際に皆さんの目に焼き付けて来てください(^^)

今回2度目の拝観だったのですが、最初の拝観の時はどこが天岩戸ですか?って言う感じだったのですが、今回は、はっきりと見る事が出来ました! 案内をして頂かないと入れない場所でもあるので、ここに来たなら必須です Googleマップクチコミより

天孫降臨(てんそんこうりん)

天照大神は、天孫日子番能邇邇芸能命(てんそんひこほのににぎのみこと)の天降りの際に常世思金神(とこのおもいかねのかみ)、天宇受賣命(あめのうずめかみ)などに供を命じる一方で八咫鏡(やたのかがみ)、八尺(やさか)の勾玉(まがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三神器を天孫に与えました。

天照大神の孫の天孫→邇邇芸能命は初神を従えて高天原(たかまがはら)を出発。葦原の中国(あしはらのなかつに)に向かいました。

途中、天の八街(あまのやちまた)と呼ばれるところで異様に光輝く神がおりました。

天孫はこの神を不気味に思い、天宇受賣命(あめのうずめかみ)に向かって、「そなたは気後れしない神だから、天孫の天振る道を塞ぐのは何者か尋ねてくれと命じました。

天宇受賣命(あめのうずめかみ)はその神に近づき、問い質しました。

その神は国つ神で、猿田毘古神(さるたひこのかみ)で、天孫の天降りの先導する神でした。

日本書紀では、鼻の長さ七咫 (ななあた)(親指と中指を広げた長さ)、背の長さ七尺余り、口尻明く輝れり、目はホオズキのように赤く照り輝いているという姿でした。

この神を先導として日向の高千穂のくしふる久士布流多気(くしふるたき)に天降ったのです。 (参考・民話と伝説)

 

Googleマップより くしふる神社

高千穂の天の岩戸から、車で15分ほどの距離にあります。神社の向かいには、図書館や体育館などがあるようです。高千穂神社方面にも通じる道沿いですが、年末の午前中は参拝者がいませんでした。
手水舎の脇にある杉は三位一体となっており、ここだけでもご利益がありそうです。拝殿は山の中腹辺りでしょうか。結構階段を上りました。途中で社務所もありますが、カーテンが閉まっていて、御朱印は高千穂神社で頂くよう張り紙がありました。
拝殿は上品で清潔感があり、側面で見られる細かい彫刻に見入ってしまいます。拝殿向かって右側にスペースがあり、そこで光の舞が撮れました。撮影している最中に、柏手を打つ音が聞こえたのですが、覗いてみたら誰もいなかったという(笑)。
天の岩戸や高千穂神社は人が多かったので、わたしは穴場的なこちらを行きつけにしたいと思います。Googleマップのクチコミ引用

Googleマップより 高千穂碑

天皇家の“ふるさと”日向をゆく (新潮文庫 新潮文庫) [ 梅原 猛 ]

この本は戦後に封印された歴史学?

梅原猛が戦後歴史学最大の”タブー”に迫る!興味のある方は読んだ方が良いです。

 

おわりに

なぜ世の中が真っ暗闇になったのか、なぜ神様が天から降りたのか、この物語ができた背景が気になるところです。建国神話はなぜ作られたのか?

凡人には理解できないことですが、現代に大騒ぎされていることに屈しないで、ご先祖様を大切にしたいと改めて感じました。

「そんなの作られた話でしょ」と思われる方もいるかもしれませんが、興味深い話がたくさんありますよ。

子供の頃に本で天岩戸伝説ですが、探ると奥が深くて、どこまで行っても真実は見えて来ない、そこが魅力でもあります。

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c.h
記事作成者ch アメブロを10年以上継続しています。このブログでは年齢を重ねても前向きに。「調査し、探求し、問いかけ、熟考するのです」ウォルト・ディズニーの言葉は私の「大切な言葉」です。
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