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富士山に伝わる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の話

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本当に困って誰にも相談ができない、どうしたら良いか分からない時というのは、大昔からありました。

そのような時は何かにすがるように祈ってしまっていたようです。

今の時代でもそうですよね。人生では予測ができない色々なことが起こります。

大昔から人は未来を切り開くために「何か」を心のお守りにしてきたのでしょう。

この記事では日本を象徴する富士山の神霊、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の話と富士山に関係する民話・伝説をご紹介します。

大昔から多くの人に愛されて来た富士山は強い霊力があるとされ、信仰の対象とされて来ました。

平安時代までは頻繁に噴火を繰り返しました。平安時代から中世までは修験の場として繁栄しました。

古事記とか神話に富士山に関連する伝説が残されていて、そこから来ているのか他の地方にもそのような伝説が残されています。

今回ご紹介するのは、富士山に建っている浅間神社の守り神の話です。

守り神は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)といいます。

安産・子育て・恋愛・結婚・女性の一生の節目をずっと守り続けている花のように美しい神様です。

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と桜

イラスト<abyss作>

平安時代まで頻繁に続いていた噴火を鎮めたという伝説が残っていました。

守り神の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、アマテラスの孫のニニギノミコトの子を一夜の出来事で身ごもったのですが、「たった一夜で身ごもるのはおかしい」と自分の子ではないのではと疑われ、木花咲耶姫は疑いを晴らすために産屋に火を放ち、その炎の中で出産をします。

そして火の中で三人の神々を産みました。

ホデリ命(海幸彦)、ホスセリ命、ホオリ命(ヒコホホデミ命(山幸彦))という三人の子を無事出産しました。

火の中で三人の子を生んだので木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は、安産の神として信仰されるようになりました。 また子安神とも呼ばれています。

木花咲耶姫は大変美しく、木の花は「桜」だったといわれています。

富士山の噴火を鎮めるために守り神となり、富士山の頂上から花の種を巻いて、日本という国に桜を咲かせたという。 そのような話が残されています。

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の姉

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)にはイワナがヒメ神という姉がいました。

姉は山の岩石の精霊の化身であり、容姿は妹の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)とは違い、醜い娘でありました。

アマテラスの孫のニニギノミコトは美しい妹の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に一目惚れして、父親のオオヤマヅミ神に結婚させてほしいとお願いをしました。

オオヤマヅミ神は大変喜び、二人の娘をニニギノミコトのもとへ送りました。 ニニギノミコトは美しい妹の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)だけを残して醜い姉は返してしまったのです。

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は三人の子を産みました。

この話を元に各地で木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と姉のイワナがヒメ神の話が残されています。

日本を象徴する富士山の神霊、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の話と富士山に関係する民話・伝説をご紹介します。

静岡県伊東市に伝わる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の伝説

イラスト<abyss作>

大山祇神(オオヤマヅミ)の第四女の美しい人はコノハナサクヤヒメといいました。

若い神様が今までにこんな美しい人を見たことがなかったとコノハナサクヤヒメに一目惚れをして、お妃に迎えたいと思いました。

若い神様は使えの者を大山祇神(オオヤマヅミ)のもとへおつかわしになり、話はトントンと進み、大山祇神(オオヤマヅミ)はとても喜ばれ、姉のイワナガヒメと妹のコノハナサクヤヒメの二人を若い神様に差し上げることにしました。

しかし若い神様は美しい妹のコノハナサクヤヒメばかりを可愛がり、姉のイワナガヒメを近くに呼ぶことはなかったのです。

イワナガヒメはだんだんと悲しくなりました。 そしてこのことから仲たがいをし、妹のコノハナサクヤヒメを恨むようになってしまいました。

仲良くすることができなくなり、にらみ合うようになってしまいました。 静岡県伊東市の大室山の山頂にある浅間神社にはイワナガヒメが祀られています。

富士山の浅間神社にはコノハナサクヤヒメが祀られています。 大室山に登ると富士山が見えるときがあります。

富士山が見えても決して富士山が綺麗だとか褒めてはいけません。

富士山を褒めるとたたりがあると伝えられています。 昔から嫉妬心は存在したということになります。

「下田富士」伊豆下田に伝わる伝説

伊豆の下田には「下田富士」という伝説が残っていました。

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の話とは違いますが、余りにも富士山が美しいので、富士山に似たような山はいろいろな所で「〇〇富士」と呼ばれています。

伊豆の下田にも下田富士があります。 下田富士は岩がゴツゴツとしていて容姿が悪いと言われていました。

そんな下田富士の話が昭和の初めの頃の本に載っていました。 下田富士、駿河富士(富士山)、八丈富士は三人姉妹でした。

駿河富士は大変容姿が美しく、一番姉の下田富士は容姿が醜いので、誰一人見返る者もなかったのです。

姉の下田富士は、「もう一生駿河富士とは顏を合わせない」と怒ってしまい、天城の山を立てまわし、自分は伊豆の奥へかくれてしまいました。

末の八丈富士は、二人が見えるところに陣とって「早く姉さんたちが仲直りをしてくれるように」と胸を痛めていたという。

下田富士は山上にイワナがヒメ命を祀ってあります。

松平楽翁公は伊豆巡桧の際、ここに登ってお初穂を奉ったといふ

(参考・昭和6年発行伊豆伝説集)

松平楽翁公は江戸時代後期の大名松平定信のことです。

八丈富士というのは伊豆諸島の八丈島にあります。

少し離れた所から見守っていたのですね。

そして富士山が美しいから近くの山はひがんでいたのですね。

富士山の伝説で別々のように書かれていても、同じような内容だったり、逆に置きかえられていたりするので、本当はどうだったのか分からないのですがおもしろいです。

伝説「天狗の詫び証文」は悪さをする天狗のお話です

山の背くらべ(木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は登場しません)

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)はこちらには登場しませんが、富士山と長野県の八ヶ岳の話を見つけました。

富士山と八ヶ岳が山の高さを競った話です。 富士山は女、八ヶ岳は男です。

昔々のお話ですが、男は女に負けることはできなかったのです。 富士山は女でも強い女だったようです。

「絶対に負けられない!」 それで山の神に「どちらが高いのよ」と富士山が言ったかどうかは分かりませんが、審判を仰いだところ、山の神は大きな樋(とい)を持ち出すと、両方の山の頂上へ樋(とい)を掛け、真ん中から水を流した。

水は富士山の方に流れていった。富士山の負けと決まったわけだが、気位の高い富士山、樋(とい)を取り上げると女だてらに八ヶ岳の頭を殴りつけた。

すると端正な八ヶ岳の頭が八つに割れ、あわれ八ヶ岳は後世にそのままの姿をさらすことになった。

(参考・民話と伝説・甲信越・飛騨) 昔々のいろいろな話が残っていて楽しいです。

木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)(古事記)

桜などの花が咲くような女神という名であるコノハナノサクヤビメは神話上で最も美しい神であると言われています。

富士浅間神社に伝わる遠い昔の話です。

天孫邇邇芸命(てんそんににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)(古事記表記)と一夜の契りを結びました。

毘売は懐妊し、それを命に話すと不機嫌になりました。

「たった一夜の契りなので、私の子ではあるまい」

疑いをかけられた毘売は、「もしこの子が命の子でないなら、出産は無事に済みますまい。もし命の子ならたとえ猛火の中でも無事に生まれることでしょう」

そう毘売は誓ったそうです。

出産のときには、火を放って猛火の中で無事に三人の子を産みました。

火が盛んに燃えた時に生んだ子を火照命、火が弱くなった時の子を火須勢理命、火が消えた時の子を火遠理命、またの名を天津日高日子穂穂手見命という。Wikipediaより

木花之佐久夜毘売はこのことから安産・防火の神として信仰を集めています。

富士浅間神社の祭神として祀られています。

(参考・民話と伝説・甲信越・飛騨)

鎮火の祈りのために建てられた浅間神社

噴火活動が起こり、人々から恐れられていた富士山でしたが、遠くからでも拝む対象となっていました。

我が街でも「富士見」という地名が残っていて、「富士見」からは富士山が見えます。

平安時代になると噴火を鎮めるために富士山麓に浅間神社が建てられて人々に信仰として根付いていきました。

我が街でも富士山が眺めることができる大室山に浅間神社が建っています。

祭神は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)。

富士浅間神社例大祭

富士吉田の火祭りは、神道説では木花之佐久夜毘売の故事にちなんで始められたといいます。

富士浅間神社例大祭の前夜祭で行われる火祭りは、松明に火を灯し、さながら一面火の海のようだといいます。

河口湖畔浅間神社例大祭

こちらの例大祭も木花之佐久夜毘売ゆかりのものと伝えられています。

例大祭では稚児の舞が奉納されます。

こちらは富士山が大噴火したときに木花之佐久夜毘売を鎮火の神として祀って、鎮火を祈り舞ったのが始まりだといいます。

修験道の道場

平安時代の後期頃から富士山は修行の山となっていきました。

富士山山頂に大日堂が築かれてから登拝する山として広く知られるようになったからです。

明治時代になってから女性が登山することも許されましたが、それ以前は女性が富士山登山することは禁止されていました。

女性は聖なる山に入ることはできなかったのです。

富士五湖の一つ河口湖の河童伝説

富士五湖の一つの河口湖に河童伝説が残っていました。

河童伝説は日本全国、湖や川に現れるというのが多いような気がしますが、河口湖に現れた河童は、子供が一人で泳いでいると河童が足を引っ張って溺死させてしまうという。

怖い河童です。河口湖には赤牛伝説もあるそうで、河童と同じで子供が一人で泳いでいると赤牛に足を引っ張られるというものです。

河口湖の赤牛は、富士山が噴火したときに転がってきた溶岩塊?という説があるとのこと。

いずれも子供が一人で泳ぎに行きたがったときに、親が「河童が出るよ」とか「赤牛に脅かされるよ」と言ったのでしょうか??

浅間神社が伊豆に少ないのはどうして?

いつだったか忘れましたが、前に読んだ本に伊豆地方では富士山が噴火したときの被害が少なかったと書かれていました。

江戸時代の宝永大噴火のときです。1707年ですね。

火山灰が伊豆の方にあまり来なかったと書かれていました。

このときに偏西風によって運ばれた火山灰によって東関東から東北の方まで被害がありました。

それでどうして浅間神社が伊豆に少ないのかといいますと、この宝永大噴火で大きな被害があったところに浅間神社が多く建てられているということです。

神社が建てられるときって、困ったことが起きたときが多いのではないかと思っています。

噴火による火山灰の影響で農作物に大きな被害をもたらしたので、農民の願いにより浅間神社が建てられたのではないかと思われます。

上にも書きましたが、平安時代から富士山の噴火を鎮めるために浅間神社が建てられてきたのですが、江戸時代になっても同じような理由により建てられたということですね。

特に東関東に多く分布しているので、火山灰の被害が大きかったのではないでしょうか。

大太法師(ダイダラボッチ)

イラスト<abyss作>

ダイダラボッチは日本各地に現れた伝承の巨人ですが、富士山もダイダラボッチがつくったという話があります。

ダイダラボッチは近江、滋賀県ですね。ここの土を掘って富士山をつくったそうです。

滋賀県には大きな穴が開いてしまいました。琵琶湖ができちゃいました。(笑)

ダイダラボッチは妖怪ですが、大きな大きな妖怪ですね。日本各地の山や湖をつくったという話が残されています。

富士山と竹取物語

子供の頃に絵本で読んだ「竹取物語」と違う「竹取物語」が多く伝えられていることに驚きました。 かぐや姫と富士山との関わりが静岡県富士市の伝説に残されています。

物語の結末が本によって違うのですが、かぐや姫は月ではなくて、富士山に帰ったということです。

富士山ふもとの富士市にある竹林におじいさんが竹を切りに行ったという由来が残されていて、富士山本宮浅間大社の祭神木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)がかぐや姫という話もあります。

「かぐや姫の秘薬」の話もありました。 かぐや姫が月に帰るときに、おじいさんとおばあさんに不老不死の秘薬をお礼に渡しますが、おじいさんとおばあさんはかぐや姫がいなくなるのに、そんなものはいらないと、秘薬を人に頼んで富士山の頂上で燃やしてもらったといいます。

富士山の頂上から煙がいつまでも立ち昇っていたという。 噴煙でしょうか? いろいろな話が地域によって残されています。

富士山に登った最初の女性はだれでしょうか

女の人は富士山に登ることを禁止されていました。明治5年(1872)までです。

それは、富士山の神様が木花咲耶姫、女の神様だからとか、女が富士山に登ると災いが起きるとか言われていたからです。

禁止はされていましたが、登ってしまった人はいます。

幕末には駐日英国公使夫人が外国人の女性で初登頂をしています。

それよりも前に日本人女性の高山たつという女性が天保3年(1832)に登頂しています。

明治5年(1872)に「富士山女人禁制」は明治政府によって廃止されました。

「女が山に登ると山が汚れる」と書かれた伝説を読んだことがありますが、そういう時代だったのですね。

女性が富士山に登ることを禁止されたのは、神様が女だからというものや、女性の月経が汚れたものと書かれたものもありました。

伝説は多くの方が書かれていますから、どれが正しいとかはないと思います。

富士山頂のコノシロ池伝説

コノシロというのは海水魚の魚類のことです。 富士山頂にコノシロ池があります。

雪解けでできる池でこの池にはコノシロが棲んでいるという話が残っています。

コノシロは焼くと臭いので、このような話が残っています。

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)は醜い風神に求婚されて困っていましたが、頂上のコノシロを取ってこさせ、それを焼きながら、姫が死んで葬儀をしているところだと偽り、風神をあきらめさせたという。

コノシロは焼くと屍臭のような煙と臭いを発することからこのような俗信が生まれたとのこと。

富士山入定(にゅうじょう)

入定(にゅうじょう)というのは永遠の瞑想で修行のことです。

空海が高野山の奥の院に入定したという話は知られていると思いますが、富士山にも入定している人達はいます。

平安時代には富士山頂に大日寺を建てた末代上人(まつだいじょうにん)が入定してミイラとなっています。

江戸時代にも山頂の「釈迦の割石」という場所で案内禅師とその弟子が入定、食行身禄(じきぎょうみろく)も入定してミイラになっています。

その他にも何人もいるとのこと。 (参考・上村信太郎著・知られざる富士山)

江川英龍(担庵(たんあん))が家臣の娘が嫁にいく時に書き与えた訓言

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記事作成者ch アメブロを10年以上継続しています。このブログでは年齢を重ねても前向きに。「調査し、探求し、問いかけ、熟考するのです」ウォルト・ディズニーの言葉は私の「大切な言葉」です。
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