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【深大寺の創建】深大寺に伝わる恋バナ伝説

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高麗(こうらい)から渡来人が多くやってきていたと言われている武蔵国多摩郡狛江(むさしのくにたまぐんこまえ)、今の東京都調布市の深大寺にまつわる伝説をご紹介します。

東京都調布市の深大寺は天平五年(733)に開山と伝えられています。開祖満功上人(かいそまんくうじょうにん)の父母にまつわる恋物語が残されています。

「深大寺の創建」この伝説がいつから語られるようになったのかはわかりませんが、恋する女の気持ちや会いたがる男の気持ちは、ずっと、ずっと昔から変わらないのですね。

世の中は目まぐるしく変わっていきますが、「変わらない恋する気持ち」は、大切に残していきたいものですね。

【深大寺の創建】深大寺に伝わる恋バナ伝説

深大寺の創建

昔、高麗(こうらい)の渡来人が多く渡り住んでいたといわれる武蔵国多摩郡狛江(むさしのくにたまぐんこまえ)の里に狩猟好きの男が住んでいた。

あるとき、この男の前に「私を妻にしてください」という女が現れた。この女は夫に向かい、「もう動物を殺すのはやめて下さい」と言ったのです。

それは動物にも妻もいて、子もあるからかわいそうだからです。殺生を続けていては私たちも成仏はできない・・・。

男は狩猟をやめ、夫婦仲良く暮らすようになり、やがて女の子に恵まれた。

美しく成長していく娘は、福満(ふくまん)という青年に恋をするようになり、多くの恋文を送り続け、やがて青年の心を捉えて愛し合う仲となりました。

それを知った娘の両親は、出生が明らかでないそんな男に、一人娘をやれないと怒ってしまった。

そして近くのの大きな池の中島に小屋を建てて、二人の仲を裂くべき娘をそこに移してしまったのです。

福満という青年は娘に会いたくても舟も筏(いかだ)もなく、毎日池のほとりにたたずみ嘆き悲しんでいたのだが、そのときに思い出したのが唐の昔の話です。

玄奘三蔵(げんしょうさんぞう)が天竺(てんじく)におもむくとき、水神深沙大王に祈って橋も舟もない川を渡ったという話です。

青年は一生懸命に水神様に祈った。すると大きな亀が水面に姿を現して、それに乗って中島に渡り娘と会うことができました。

このことを聞いた娘の両親は神仏の加護ある男ならばと二人の結婚を許した。やがて男の子が生まれ、その子が成長すると、仏門に入り、のちに唐土に渡り修行をして、深沙大王から二字をとって深大寺と名付けました。

深大寺および開祖満功上人にまつわる伝説です。上人の父、福満は高麗(こうらい)の渡来人の子供と伝えられています。<参考・南関東・民話と伝説

高麗・・・10世紀~14世紀に朝鮮半島に存在していた王朝

それにしても恋バナ伝説というのは、大昔から伝えられているものですね。

恋に悩みがあるのでしたら、お参りをすると御利益があるかもしれません。

東京都調布市の深大寺

東京都調布市にあります深大寺です。

オンライン授与所もありますので、見てくださいね。合格祈願の贈り物にも良いですね。

下の画像はかいぼり中(水をくみ出している)の弁天池で画像はWikipediaからです。
この辺りは水が豊富な地域のようなので、水神様や大亀が登場する話が残されているのか、想像をすると楽しくなってきます。

池の真ん中にある中島で娘は暮らしていたのか?小屋があったんだな・・・??想像の世界は膨らみます。

かいぼり実施中の弁天池(2018年2月13日撮影)
Wikipedia

このような恋物語が残されているので、縁結びのご利益もあります。境内には国指定重要文化財が安置されている釈迦堂もあります。

この辺りでは深大寺蕎麦が有名ですね。

おわりに

東京都調布市の深大寺は深大寺蕎麦で有名ですが、昔から言い伝えられてきた「恋物語」、恋バナがあったのでご紹介しました。

水神様にお祈りをすると大きな亀がやってきて、娘に会うことができたなんて、想像をすると楽しくなります。

大昔から伝わる恋バナをご紹介しました。この話の母と娘はこの時代に男性に対して積極的でした。

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