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七夕物語(中国の昔話)動画をご紹介します

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なぜか今の時期に「七夕物語」の動画に出会ってしまって懐かしさからしっかりと観てしまいました。
天の川が見えることを祈って空を見上げたこともあった子供の頃は、本当に衣を羽織と空を舞うことができて、天と地を行き来して素敵な人と巡り会うことができるのだと思っていたときもありました。

日本でも七夕祭りも行われたりするので、馴染みのある七夕物語です。

今回ご紹介する動画は中国の昔話ということですが、日本でもずっと語り継がれてきた内容です。
七夕物語と星のことは古代中国で生まれたもので、奈良時代に日本に伝えられたということです。

七夕物語は話の内容も変わっていったものもありますが、「おりひめ」と「ひこぼし」の話が一般的だと思ってます。

七夕物語(中国の昔話)

hukumusumeさんからお借りしました。

天の神様には美しい一人娘がいました。名前は「おりひめ」。
おりひめは旗を織って神様たちの着物を作って作っていました。おりひめも年頃となったので、天の神様は婿を迎えてやろうと思いました。

真面目に働く、天の牛を飼っている若者の名は「ひこぼし」。

おりひめとひこぼしは出会ってすぐに惹かれ合うようになります。

二人は結婚して楽しい生活を送るようになりました・・・・

真面目で良く働く二人だったのに、楽しい生活の中で遊んでばかりになってしまったのです。
天の神様は怒ってしまいます。

おりひめ様が旗を織らなくなると、皆の着物はボロボロとなってしまい、ひこぼしが牛の世話をしなくなると、牛は病気になってしまいました。

怠けてはいけないということなのでしょう。

天の神様は二人を天の川の東と西に別れて暮らすようにしてしまいました。

でもそれではかわいそうということで、天の神は一年に一度だけ、二人を会わせてあげることにしました。

七月七日の夜に会うことができるのですが、もし、雨が降ると天の川の水かさが増えるので、会えなくなってしまいます。
そんなときにはカササギという鳥が飛んできて橋をかけてくれるということです・・・。

子供の頃は

七夕が中国から伝来したということは知らなかったです。
子供の頃は、7月7日天気が良い日は夜空を見上げ、織り姫星と彦星が流れて近づくのではないかと期待をしたものです。

小さな心でロマンチックな気持ちになっていました。

元々は夜空に浮かぶ織り姫星と彦星に美しい糸や金銀の針などを供えて、手芸の上達を祈るお祭りだったようですが、時代の流れに伴って話の内容も変わっていきました。

中国から伝わってきた頃は、平安時代、貴族の間で雅な行事として親しまれたようです。
平安時代の宮中行事として七夕行事が行われるようになると、お供え物をして、詩歌を楽しんだり、楽を奏でたりしたそうです。

五節句

江戸時代に入ってから七夕は庶民の間にも広まってきました。江戸幕府が公的な祝日とした5つの節句の日の一つとして七夕を残しました。
5つの節句、五節句は、1月7日人日(じんじつ)、3月3日(上己(じょうみ)、5月5日(端午(たんご)、7月7日(七夕)、9月9日重陽(ちょうよう)の5つの節句です。

7月7日(七夕・・・しちせき)

短冊に願いを書いて、笹竹に結びつけていますよね。今は自由に願い事を書いていますが、江戸時代の頃は、習い事が上達するようにとか、詩歌や裁縫が上達するようになどが中心だったようです。

時代の流れ、風習の変化によって変わってきました。

おわりに

私が子供の頃に何かで読んだか、人から聞いたのか覚えていないのですが、世界遺産、三保の松原に天女が訪れ、天衣を松の木にかけたまま帰ってしまった・・・。
天女は大変美しく、空に浮かぶ雲のように舞っていた・・・。

天女は七月七日に愛する人と会えるだけ。年に一回しか会えないということに同情しました。

三保の松原から富士山を眺めていると、ふんわり浮かぶ雲が天衣に見えてきて羽衣伝説と結びついてきます。

この話は、松原の中央付近の羽衣の松が舞台となっています。

三保の松原に白龍という漁師がいて、仕事のために浜に出たら一本の松に美しい衣がかかっていました。

それを持ち帰ろうとしたらそこに美しい天女が現われました。

美しい天女はそれがないと天に帰ることができないので返してくださいと懇願しました。

「返しますので、天女の舞いを見せてください」と言うと、天女は喜んで羽衣をまとい舞いながら天に帰っていきました。

三保の松原の羽衣伝説はこのような話です。

 

 

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c.h
記事作成者ch アメブロを10年以上継続しています。このブログでは年齢を重ねても前向きに。「調査し、探求し、問いかけ、熟考するのです」ウォルト・ディズニーの言葉は私の「大切な言葉」です。