大人の恋愛と言って良いのか、女の複雑な恋愛心情を探っていくと大正時代にたどり着いてしまう。この頃までは結婚というと、家と家の繋がりであって、自由に恋愛をして結婚まで進むということは許されなかったりしました。
そこに登場してきたのが、平塚らいてうだったり、女を出してきた与謝野晶子だったりするのでしょう。
与謝野晶子の「みだれ髪」は女性の恋心や女性のそのままの姿、性愛を遠慮無く?うたっているようです。
平塚らいてうは政府の反発政策にたいして生まれた女性解放運動家として知られていますが、それまでの結婚観を大きく変えることに繫がっていくようです。
そんな平塚らいてうの心中未遂事件ってどんなことが起きたのか気になりました。
いけない恋でドロドロしてしまった結果なのか、単純に若さゆえの好奇心から始まったのか、男を翻弄させてしまったのか、美貌の持ち主であり才女、美しい女性はなぜ心中未遂事件まで起こしてしまったのだろう。
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恋愛なしの心中未遂事件を起こした平塚らいてう
平塚明(ひらつかはる)ひらつからいてう=ひらつからいちょうは明治19~昭和46。85歳で逝去。
明子(はるこ)と書かれてある本もあります。
らいてうが世間から注目を浴びたのが、煤煙(ばいえん)事件、心中未遂事件でした。
はるは会計検査院検査官平塚定二郎氏の令嬢で、1908年3月、22歳の大学生の頃に家出して行方不明となりました。この事件によって世間に名前を広めることになります。
心中未遂事件は1908年3月25日の東京日日新聞の朝刊に掲載され、遺書のような書き置きも公開されました。
我が生涯の体系を貫徹す、われは我がCauseによって斃れしなり、他人の犯すどころにあらず。三月二十一日夜 平塚明
新聞に載るほどの心中事件となってしまったのに、この遺書らしきものは、サバサバした女性の勇ましさみたいなものを感じてしまいます。
平塚らいてう自伝にも、
いま、考えても、なぜ二人の間の結末をつけることをああも急がねばならなかったのか、その本当の理由がわかりません。
と書いてあり、若さゆえ、好奇心旺盛過ぎてここまでいってしまったのか?
はるは女性達の文学研究会「閨秀文学会(けいしゅうぶんがくかい)に所属、その講師だったのが心中未遂事件を起こした相手でした。
心中未遂事件を起こした相手は、東京帝国大学卒業の文学士、森田草平(もりたそうへい)で、はるより五歳ほど年上で夏目漱石に師事。高学歴者で、はるは日本女子大学校であったので、二人とも優秀でした。
心中事件と言っても、はるの父親は新聞記者のインタビューに「二人の間に怪しき関係ありとは判断しがたし・・」と答えていて、さすが父親であった。
そうなのだ、この娘はありきたりな理由でこんなことはしない・・・と思っていたそうだ。
森田草平の方は妻も愛人もいて(後に森田が書いた小説「煤煙(ばいえん)」によると)、その生活にも逃れたくてはるとの新しい関係を望んでいたようで、今の時代だったらケチョンケチョンに妻にやっつけられるでしょう。
その後、森田草平は心中事件のいきさつを書いた小説「煤煙」(ばいえん)を朝日新聞に連載しました。
森田草平(もりたそうへい)「煤煙」(ばいえん)から
要吉(森田草平)は、妻と愛人のいる境遇から逃れ、新しい境地を求めて、朋子(らいてう)と新しい関係を望んだ。
要吉は文学講座の講師で、聴講生のひとりの真鍋朋子に惹かれて何度か手紙を交わす・・・と始まる小説は、話題になりました。
「煤煙」の作者を、ずっと後に見かけた事があります。大柄な、肥った、近眼鏡をかけた色の白い、髪を短くかった方でした。
これは煤煙を読んだ長谷川時雨が、読んでからずっと後に書いたものですが、これを読んで「あーそうか」って思っちゃったんです。
心中未遂事件を起こしたときは太ってはいなかったようですが、長谷川時雨は「あなたのような方がこのような男性と心中未遂事件を起こしたのですか?」と言っているような気がしました。
煤煙(ばいえん)とは文学講座の講師と聴講生のひとりの女性とのものがたり。
講師は聴講生に惹かれ、何度も手紙を交わすが聴講生の奇妙な言動が理解できない。二人は人生の終わりについても語り合うようになる。人は終わる瞬間が最も美しい・・・そんな手紙を交わすうちに雪の塩原まで行くこととなってしまう。
好奇心旺盛なはるは妻も愛人もいる講師の言葉に興味を持ってしまったのか、人生を終える場所を求めて塩原に向かってるのに淡々としているようにも思えるのです。
慌てているのは講師の方。はるに惹かれつつも何を考えているのか理解できないといった感じです。
要吉は気抜けして茫然ながめていたが、思わず少し立ちのいた。にわかに二人の間に 鴻溝(こうこう)がうがたれたような心持ちがした。肉体の接触が離れたばかりでなく、精神も永久にちかよりがたいのではあるまいか。
要吉というのは「煤煙」の中の講師の名で、森田草平本人のこと。二人は灌木の根方(低木の根の所)で一夜を過ごしたらしい。
らいてうの自伝の中では、「待合」というところに先生(森田草平)に誘われて行ったときのことが書かれていました。
勉強ができて、女子大の教育は受けていても「待合」がどういうところかは知らなかったはるは、ふとんを敷いて上着を脱ぎ、横になった先生が「あなたも横になりませんか」と言われ、「その要求はわたくしになさっても無駄です。わたくしは女でも、男でもない、それ以前のものですから」と言いました。
はるは誘われてついていくも裏切るような、その場その場の興味は深く、自分でも自分の好奇心が止められなかったような感じがします。
心中未遂事件として報じられた事件後は、はるは山奥で半年間は静かに過ごしたようですが、その後に「青鞜(せいとう)」を発刊。女性解放運動に繫がっていきます。
女性は良妻賢母でなければならない、家と家のために結婚をしなければならない、女性は政治をしてはならないなど女性が不利になることを排除しようとする運動を行いました。
心中未遂事件では、山の寒い雪の中を歩き回ったのは、単純に好奇心から男をもてあそんだのではなく、思想家であったのだと感じます。
「ガブリエーレ・ダンヌンツィオの小説「死の勝利」に感化された二人」
とありますので、この小説に感化された二人が起こしてしまった若き日の過ちなのか?今時の男女関係のグチャグチャしたものではなかったようです。
この心中未遂事件のあとに、森田草平の師であった夏目漱石は「森田から平塚家へ結婚の申し込みをさせる」という案を提示させましたが、これをらいてうは、「男女の問題を結婚させることで解決させる」という古い考え方に反発しました。
新しい時代の女性が誕生したということです。「新しい女」の誕生です。
新しい女
明治時代、大正時代と女性は社会的な権利もなく、結婚して家庭を守れ、政治に口を出すな、そんな時代に反発した女性たちは女性解放運動によって大きく変化していきました。
「女性は太陽であった。真正の人であった。・・・」青鞜(せいとう)という雑誌に書かれているらいてうの言葉に多くの女性の心を動かしたのです。
100年以上前の明治時代から大正時代の世の中も混沌とした時代であったと思いますが、そんな時代でも男女共、恋愛も頑張ってました・・・。
世の中を賑わす恋愛事件はたくさん起きていたと言いますし、女性が恋愛や結婚に対しての考え方が変わってきた時代でもあったようです。
この時代の小説を読むと、恋愛に関しても奥が深く、心情を探るおもしろさがあります。