愛知県豊川市にある長福寺(ちょうふくじ)には、約1000年前の平安時代に三河の国司大江定基(おおえさだもと)と別れを悲しんで舌を噛み自害した赤坂の長者の娘、力寿姫(りきじゅひめ)の墓が山中にあります。
境内には推定樹齢300年の市指定記念物のヤマザクラがあります。
力寿姫は愛しい人との別れを悲しみ、「こんなに別れが苦しいのなら、あの方からの愛を受け入れなければよかったものを・・・」と琵琶を抱いて舌を噛んで自害をしてしまいました。
今回は大江定基(おおえさだもと)と力寿姫(りきじゅひめ)の悲恋、悲しい恋物語をご紹介します。
大江定基(おおえさだもと)と力寿姫(りきじゅひめ)の悲恋
大江定基は三河の国司として赴任して、赤坂長者の娘、力寿と親しくなりました。二人の愛の日々は矢のように過ぎていきました。
定基が得意の琵琶をかき鳴らすと、その音色、ばちさばきに皆、うっとり。定基は力寿に琵琶を聞かせてあげるという日々を過ごしていたある日のこと、三河の国司の赴任を終えることとなり、京に戻ることとなったと力寿に伝えました。
御朱印 東三河
浄土宗長福寺 2018.4.1
(豊川市赤坂町西裏)
本尊:阿弥陀如来《観音堂本尊:木造聖観音立像》
裏山に観音堂があり、さらに登ると三河国司大江定基の愛人だったと伝わる力寿の墓がある。聖観音は定基が力寿の死を悲しみ寄進したという。
御朱印は直書きなし。三河准四国霊場のみ拝受。 pic.twitter.com/fKPhOjre1B— KURA (@Yv6Oao5Lu946cZt) April 3, 2018
長福寺(長富寺)は力寿の父、長富が娘の菩堤を弔うために赤坂に長保年間(999~1004)に建立した。(1522年から長福寺)
大江定基と愛妾力寿姫の悲恋
新任の国守、大江定基はすらりと伸びた体のりりしい若者である。新任の国守歓迎のため、三河の赤坂長者の家で宴が張られていた。
酒気がまわって里の人たちの中にはひな歌を歌い出す者もいて、定基も里の人の素朴な人情にすっかり良い気分になっていた。
里人が「国守様も何かを・・・」と声がかかると、定基は琵琶を持ってこさせた。
定基がひと筋琵琶をかき鳴らすと、その美しい音色やばちさばきに里人はうっとりとしていて、周りは水を打ったようにしんとなった。
このとき琵琶の音色を柱の影からじっと聞き入る姫がいました。
この姫が赤坂長者の娘、力寿でありました。力寿はキラキラした目を定基に注いでいた。
このときから定基は赤坂長者の館をたびたび訪ねるようになり、力寿と親しく口を利く仲となっていきました。
定基には奥方がいました。
力寿は「奥方さまがおいででもかまいません。力寿はあなたのおそばにいるときが一番幸せでございます」と定基に告げる。
定基は力寿を抱き寄せた。こうして二人の恋の日々は矢のように過ぎていきました。
あるとき、力寿は「琵琶を聞かせてくださいませ」と定基に言いました。
定基は力寿を引き寄せ、「姫、わたしは都に帰らねばならぬ。都で新しい仕事が待っているのだ」
それを聞いた力寿は、首を横に振り続け、泣き始めた。
帰国の支度もあったので、そのときから定基は力寿に会いに行かなかった。
力寿は定基の琵琶を弾いた。すると突然、ぷつんと音を立てて弦が切れた・・・。まるで、二人の縁が切れたかのように。
「もはや、これまで・・・」力寿は舌を噛み、琵琶を抱いてこときれた。
これを知った定基は力寿の屍にすがって声を上げて泣いた。彼は力寿山舌根寺を建てた。財賀寺の境内の文殊堂がそれで、定基の守り本尊文殊菩薩像が納めてあります。
ある日、定基は兎足神社(うたりじんじゃ)の風祭に誘われた。
風の神を鎮める儀式は生け贄のイノシシを生きたまま裂くという残酷なものでした。獣の上げる苦痛の声が力寿の悲鳴に重なって聞こえ、いたたまれなくなって定基は逃げてしまった。
定基はこのときから世の無常を感じて出家してしまった。名を寂照(じゃくしょう)と改めた。
寂照(じゃくしょう)は中国に渡り、七十余歳、異境の地で生涯を終えました。東海・南紀 民話と伝説より
おわりに
寂照(じゃくしょう、応和2年(962年)頃? - 長元7年(1034年))は、平安時代中期の天台宗の僧・文人。参議大江斉光の子。俗名は大江定基(おおえ の さだもと)。寂昭・三河入道・三河聖・円通大師とも称される。Wikipedia
舌根寺は廃寺となり舌根寺の本尊を祀った文殊桜(ヤマザクラ)は財賀寺に移されました。江戸時代、安永5年(1776)に舌根寺跡に力寿碑を建て、ヤマザクラが植えられたということです。樹齢約250年となっています。
力寿の父、長富が長保年間(999~1004)娘の菩堤を弔うために赤坂に長富寺(1522より長福寺)を建立しました。
定基は力寿を失い、嘆き、苦しみ、冷たくなった力寿をしばらく抱いて過ごしていたが、腐敗が始まり悪臭がするようになった。
定基は万物は消滅変転するものだ、「この世は辛く苦しいものだ」ということを悟り、寂照と名乗り僧侶としてその後の人生を過ごしたということです。
人を愛する気持ち、奥さんがいるのに他の人を愛してしまうこと、やりきれない辛さなどは千年経っても変わらないのですね。
昔から伝えられる恋バナを感じてみてください。
力寿のお墓は愛知県豊川市の長福寺の山中にあり、境内には樹齢約300年のヤマザクラがあります。
長福寺のヤマザクラは豊川市指定天然記念物となっており、幹の周り約3.3メートルとのこと。
財賀寺のある財賀町にも力寿の悲恋が伝わる樹齢250年ぐらいのヤマザクラが植えられているようです。
力寿の悲恋を巡る旅も良いですね。
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