昔々のお話

太田道灌(おおたどうかん)とは?太田道灌ゆかりの熱川温泉?

伊豆熱川温泉に行ったときに「太田道灌(おおたどうかん)」の碑を発見して、熱川温泉との関りを初めて知りました。

川底から温泉が湧いていて猿が傷を癒しているのを太田道灌が発見したという伝説が残されていました。

実際に太田道灌が発見したという川底の温泉を見たのですが、「ここがそうなんだ~!」という喜びを感じることができました。

伝説が残っていると実際にその場所に行って探ってみたくなり、発見をして密かに喜ぶということを私は何度も体験してきました。

私の密かな楽しみでもあります。

太田道灌(おおたどうかん)ってどんな人?

Wikipediaより

太田道灌(おおたどうかん)は江戸城を完成しました。

1432年~1486年。55歳で亡くなっています。

生涯を関東の騒乱の中で生きて、この時代は京都に拠点があった室町幕府が乱れていたため、関東でも騒乱状態が続いていたといいます。

太田道灌は太田資清の子で24歳のときに家督(かとく)を継ぎ、築城の才能を発揮して江戸城を完成させました。

長禄元年(1457)のことです。

秩父平氏の一族江戸氏の居館があったところに築かれました。このときの城はささやかなものであったそうです。

道灌は東京が発展をする第一歩となり丸の内に銅像が建っています。

1590年に徳川家康が入城して江戸幕府に繋がっていきますが、その前は中心は京都でした。

徳川家康は有名ですが、太田道灌のことは知らない方もいるかも知れませんね。

熱川温泉を発見した太田道灌(おおたどうかん)

江戸城築城を行い、疲れたのでしょう。伊豆の天城に狩りに来て、傷ついた獲物を追って海岸の近くまで来て、そこにお湯がしぶきをあげて湯けむりを立てていたのを発見したという伝説が残されています。

道灌もこの湯に入って疲れを癒したとあります。

道灌は「これこそ天下一品の温泉よ」と言ったのだとか・・・。

熱川温泉は道灌によって発見されたと語り継がれています。
太田道灌と猿

伊豆熱川道灌像c.h

太田道灌が発見した温泉!?(高温の綺麗な温泉を見ることができます)

道灌が発見した温泉!?

獲物の鹿を追ってとか、傷ついた猿が温泉で治療をしたとか伝説はどこから発生したかは分かりませんが、むかーしのおじいちゃんやおばあちゃんが話し出したのかも知れません。

熱川温泉って!?有名になったのはテレビドラマ!?

1970年1月から始まった「細うで繁盛記」というドラマで牛乳瓶の底のようなメガネをかけた正子(熱川温泉老舗旅館「山水館」の正吾の妹)のドラマでのセリフが視聴者に受けたそうです。

「ちょっくら! 加代、おみゃーの出る幕じゃあ にゃーズラよ!」

「加代!おみゃーの言うとおりにゃさせにゃーで!」「犬にやる飯はあってもおみゃーにやる飯はにゃーだで!」

Wikipedia

このドラマの第一シリーズは1971年4月に終わっているので、短期間でも人気が出るとテレビによる影響は凄いですね。

ドラマが終了して何年も経っていたと思うのですが、学生の頃、県外の人に伊豆から来たと言ったところ、「~だにゃ~」と言われ、「にゃ~ってにゃに?」って感じでした。(笑)

ドラマのことは知らなかったのですが、凄くインパクト強いですね。

ドラマの影響で観光客も増えたのではないでしょうか。今でも熱川温泉に行くと温泉の湯けむりが立ちのぼり、狭い街ですが「温泉街」の雰囲気が残っています。

温泉街にある遊技場が残っていて、(実際に営業をしているのかは確認できていません)そこにスマートボールの遊技機がありました。

アルコールの入った観光客の人たちが浴衣を着て、カランコロンと街歩きをして遊技場で遊ぶって感じですかね。(笑)

そんな昭和の感じが残る魅力的な街並みと、坂を下っていくと目の前に青い海が広がってきます。

太田道灌の碑は海岸の所にありますよ。

太田道灌(おおたどうかん)と山吹乙女

これは有名な話なのですね。

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき

太田道灌を和歌の道に走らせた山吹乙女とは?

まだ太田道灌が若かったころの話です。春の心地よい日に供を連れて鷹狩りに出掛けました。途中でにわか雨にあいました。

近くの人家で蓑(みの)を借りることにし、出迎えた娘に「鷹狩りに来たが、にわか雨で困っておる。蓑(みの)を貸してもらえまいか」と頼みました。

娘はしばらくだまっていたが、側に咲いていた山吹の花を見つけると、その小枝を折ってそっと道灌に差し出しました。

「これはなんのまねじゃ」わしは蓑(みの)がほしいというておるのじゃ」道灌は山吹を払いのけたが、娘は山吹の小枝をだまって握っていました。

道灌は不愉快な気持ちで帰城しました。

道灌からこの話を聞いた家臣は、「古い歌に『七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき』と歌われております。その娘は”蓑(みの)”と”実の”をかけてお貸しする蓑(みの)さえ家にないことを伝えたかったのでしょう」

これを聞いた道灌は己を多いに恥じて歌の道に励むようになったとのこと。(参考文献)民話と伝説

山吹の花は咲いても実をつけません。貧しくて蓑(みの)ひとつないということを伝えたかったということです。

まとめ

太田道灌が熱川温泉と関りがあるかどうかは分かりませんが、どういうことだったのかと想像をすると楽しいです。

室町時代のことなど分からないし、かなり乱れていた時代だったので温泉や狩りで楽しむことも必要だったかも知れませんね。(笑)

そんな妄想の旅もいいかも知れませんよ。

太田道灌は美学を貫こうとした(?)ということですので、私も妄想や想像で楽しんでみました。

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