昔々のお話

【昔話・伝説】甲信越・飛騨哀しい恋の話

昔話・伝説の哀しい恋の話は、いつの時代も存在する恋バナなのだと改めて感じます。

それもずっと語り継がれるという、平凡な話だけど魅力のある話が多いです。昔話は残酷な内容のものも多く、「生きる」ことは残酷なことにも遭遇するからなのだと感じています。

今回は【昔話・伝説】甲信越・飛騨哀しい恋の話をご紹介します。

(参考文献 民話と伝説 甲信越・飛騨、日本の民話)

【昔話・伝説】甲信越・飛騨哀しい恋の話

恋しくて恋しくて・・・上手くいかない場合は「人生を終わりにしたい」そこまで思ってしまう昔話、伝説は多いような気がします。

今の時代でしたら「そんなことあり得ない」と思いますが、話が残されているということは昔々の人は一途な恋心を持っていたのかもしれませんね。

話は随時追加していきます。

新潟県東蒲原津川町 【お鶴と蔦丸(つたまる)の悲恋】

ニノ曲輪跡(2020年7月)Wikipedia

新潟県東蒲原津川町 阿賀野川、常浪川に接したきりん山に津川城(きりん山城・狐戻城)がありました。

狐が登ることができないほどの場所ということで、狐戻城(きつねもどりじょう)とも呼ばれています。

ある年の夏、城主の金山遠江守(とうとうみのかみ)は風邪をこじらせて病の床に伏し、薬湯も効果無しで、打つ手なしの状態となりました。

そこで最後の試みで阿賀野川岬に沸く温泉を汲んできて体を温めてみることにしました。

この温泉は傷ついた鳥や獣も浴びにくる霊泉ですが、崖の下にあり危険な所でした。

この役を引き受けたのは寵愛を受けていた小姓の蔦丸(つたまる)で毎日大変な思いをして湯を汲み、城まで運びました。

効果は表れ殿様の病は良くなりました。

ある日のこと、蔦丸は湯を汲みにくるお鶴という娘と出会いました。

お鶴は病に罹った母のために毎日湯を汲みにきていたのです。二人は毎日顔を合わせるようになり、やがて恋仲に。

蔦丸はお鶴との寵愛に時間を取られるようになり、城に帰る時間も遅くなるようになり、人々も噂するようになりました。

それにつれ殿様の病もまた悪くなり、重臣たちにお鶴のことも知られてしまい、怒った重臣は蔦丸を山頂の石牢に閉じ込めてしまったのです。

事情を知らないお鶴は、毎日蔦丸が来るのを待っていたが、代わりに湯を汲みにきた人から蔦丸が石牢に閉じ込められていることを知り悲しみました。

お鶴は蔦丸を助けようと岩場をよじ登り石牢に近づきましたが、あと一息というところで、岩が崩れて、お鶴は凄惨な悲鳴を残し、落ちてあの世に行ってしまいました。

夜が明けると常浪川の淵に黒髪をなぶらせて漂っていたお鶴と、あとを追って身を投げた蔦丸の悲しい姿が見られた・・・。

この夜、大洪水が起こり、川の流れが変わり、小さな沼ができました。

この沼のことを「お鶴ヶ沼」と呼んでいます。(参考・民話と伝説 甲信越・飛騨)

麒麟山(きりん山)城跡

長野県上伊那郡高遠町(現・長野県伊那市高遠町東高遠 【絵島囲み屋敷】

江戸時代七代目将軍徳川家継、正徳四年(1714)三月のお話です。

幼少の家継の生母月光院に使える表年寄の絵島は寛永寺、増上寺に代参しました。その帰りに山村長太夫座に寄り、歌舞伎役者の生島新五郎と密会したことが発覚しました。

奥医師の交竹院と商人たちが大奥に取り入る手段として絵島たちを誘ったものとされ、多くの人が処罰されたと言われています。

絵島の兄、白井平右衛門はあの世行き、新五郎は三宅島に流罪、他にも六十余名が処罰されました。

絵島は密通の罪で信州高遠藩へお預けの身となりました。

幕府から科人(とがにん)を預かった高遠藩は、自ら命を絶つことや逃亡などがあると取り潰しの憂き目(うきめ)に遭うかもしれないと大慌て。

城下から一里余りのところに囲屋敷を造り、下女一人のみが出入りすることができました。

世間を知らなかった大奥勤めが、歌舞伎役者に夢中になるのに時間は必要なかったのかもしれません。

信州高遠藩で絵島はひたすら御仏にすがっていたという。信州高遠藩で二十七年間過ごした絵島は寛保元年(1741)に六十一歳で生涯を終えました。

信州高遠藩では極寒の中でも火桶が一つ与えられただけで、外出も許されなかったという厳しいものでした。

この話は絵島と歌舞伎役者生島新五郎のいけない恋の話なのかは良くわからないのですが、大奥のゴタゴタに巻き込まれたのかもしれませんね。
(参考・民話と伝説 甲信越・飛騨、絵島生島事件)

絵島囲み屋敷

大奥の大スキャンダル、絵島事件の絵島が配流され、最後までを過ごした家を移築したもので、当時の住宅の様子を見る事が出来ます。
この家に十年単位で閉じ込められるのは御免ですが。Googleマップクチコミより

【佐渡情話】 新潟県柏崎市

佐渡の荒波を恋しい男のもとへ行くためにタライ舟に乗っていくという話は寿々木米若の浪曲で知られています。

ちなみに寿々木米若が始めた静岡県伊東市にあった旅館「よねわか荘」跡地には寿々木米若の銅像と良質な温泉の足湯が残されています。

伊東市 よねわかの足湯

佐渡情話は有名になった浪曲でお光と吾作の話となっていますが、佐渡島に住む船問屋の娘のお弁(おべん)と柏原の船大工、藤吉(とうきち)の話で残されている話です。

藤吉は毎年冬になると船の修理をするために佐渡に渡り、船問屋で働いていました。

船問屋の娘、お弁は美しい娘、二人が恋仲になるのに時間はかかりません。

甘い生活は人目をしのんで重ねられました。

春になると藤吉の手で修理された船は漁場に向かい一斉に出港して行き、藤吉も柏崎に戻っていきます。

藤吉には妻子がいました。

そうとは知らないお弁は藤吉への思いはつのるばかり。そしてワカメ採りに使うタライ舟に乗り、柏崎目指して佐渡の荒波を漕ぎ渡り、愛しい藤吉のもとに通いました。

二人の密会は海を越えて始まりました。藤吉との逢瀬は来る日も来る日も続けられましたが、さすがに藤吉もお弁の激しい激情に耐えかねてきました。

お弁はタライ舟に乗って柏崎に来る時は、柏崎の灯台の蕃神堂の灯りを目当てに来ました。

藤吉はある夜、お弁が来る時に番神堂の灯りを消しました。

お弁はタライ舟に乗り、もう少しで柏崎に着くというときに目標が分からなくなり、岩場にうちつけられました。

お弁はあの世に行ってしまいました。(参考・民話と伝説 甲信越・飛騨)

いじらしい女心は、歌や浪曲などで伝えられています。

海岸山 妙行寺 番神堂

寿々木米若(すずきよねわか)の浪曲「佐渡情話」では、人物が「お光・吾作」と変更されています。

諏訪神社 お光と吾作の墓がある

望月の駒(もちづきのこま)と生駒姫(いこまひめ)

昔々、若駒の産地(朝廷に差し出す馬の産地)として知られた望月の牧。

この土地の豪族望月氏の一人娘、生駒姫は同じ日に生まれた美しい月毛(赤みのある茶色)の馬を自分の馬にしました。

月毛の駒はすくすくと育ち、どの馬より速く、美しく峠を駆け上がり、雪や雨が降ろうと一日とてこの月毛の姿を見ぬ日はなかった。

生駒姫も美しく育ち、幼いときから月毛の駒を人間のように愛し、一日中牧の内外を駆け巡っていました。

生駒姫が十三歳になったある日、生駒姫の噂を聞いた都の帝(みかど)からお召しで、都へ上ることになりました。

その日から月毛の駒は元気がなくなり、食べ物も口にしなくなりました。

帝からのお召しで都に上がることは牧の栄えにもつながり、喜ばしいこと。

ただ、月毛の駒が病となっては一大事です。ある修験者に見てもらったところ、月毛の駒は生駒姫に恋心を抱いているという。別れを悲しんでいました。

殿は畜生の分際で姫に恋するとは!と烈火のごとく怒りました。

生駒姫は月毛の駒と一緒に暮らしていたいと言い、殿を困らせたので、殿は最後のチャンスを月毛の駒に与えることにしました。

「鐘が四つから九つ打つまでの間に領内を三周できるのであれば姫をあげよう」

月毛の駒は竜馬のごとく走り出しました。三周目に入り、九つまではまだだいぶあるところまで来ました。

驚いた殿は「かまわぬ!九つを打て」と言い、鳴るはずのない九つの鐘が響きわたりました。

それを聞いた月毛の駒は悲しそうに鳴き、谷底にまっさかさまに落ちていきました。

月毛の駒が亡くなったことを聞いた生駒姫は都へ行かず、城中からも姿を消したといいます。

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