図書館から<「女の底力」編著 藤田浩子 小林恭子 絵>を借りてきました。
昔話から生きる知恵を学ぶことができます。
「時代が違うからそんなこと知らなくても良い」と思う方の方が多いかなとも思いますが、時代が多く違っても変わらないことって変わっていないものです。
変わってはいないもの、それは「人の心」です。
恋愛感情とか嫁姑問題とか人に対する妬み、憎しみなどもずっと昔から変わってはいないような気がします。
昔の本を読んでいると、昔話から生きる知恵のヒントを学ぶことはできると感じます。
この本を読んで嫁と姑問題でうまくいく方法が見つかるかも知れませんが、昔のお嫁さんは今のお嫁さんとは違う耐える力もありました。
今の時代では「そんなことあり得ない」と言うようなことがたくさんありました。
Contents
嫁と姑うまくいく方法見つかる?昔話に学ぶ「女の底力」
昔話に残されているのは、意地悪な鬼のようなお姑さんの話が多いと思います。ずっと前からなぜお姑さんはこんなに怖いのかと思ってました。
「女の底力」に寄ると、お姑さんはお嫁さんの教育係だったから怖いのだということです。「教育係?何の?」そう思われても当然です。
昔のお姑さんは「主婦」の教育をされる方でした。
「嫁」は「女」「家」ですから、「家」に入ってきた新しい家族ということ。
食事の作り方、掃除の仕方、育児、家のお金の管理、親戚との付き合い方などのやり方をお姑さんがお嫁さんに教えていくのです。
厳しい世界ですね。
「嫁はこうあるべき」なんて言うのでしたら、私は主婦失格で追い出されてしまったかも知れません。
洗濯物を干すときに私の姑さんは「パン、パン」と洗濯物を叩いて干していたので、アイロン掛けの必要がないようでしたが、私の場合は、ササっと終わってしまいます。
おまけに乾燥機もしっかりと使ってしまうので、縮んでしまうことも。(笑)
では「女の底力」から昔のお姑さんとお嫁さんの話を紹介いたします。
実際の語り口を生かすため、あえて句読点はほとんどつけず、改行もしていません。読点のかわりに、息継ぎの箇所として、一マスあけています。
~はじめは読みにくいと思われるかもしれませんが、語りを感じながら読んでいただければ幸いです。「女の底力」より
語るのが上手な方が高齢者に読んであげると良いかなと思います。
ここでは抜粋して紹介しますが、本を買っていただくか、図書館で借りてくださいね。
当てつけ山
むがぁし まずあったと。 あるとこに 嫁様と姑様といたんだけんどなぁ
こんな感じで始まります。話の内容は、
嫁が外の仕事から帰ると、いろりの鍋から良いにおいがしてきて、鍋の中に入っていただんごを食べてしまいました。
おいしかったので、もう一つ食べようとすると、姑が入ってきたので、慌てた嫁は熱いだんごを口に入れて呑み込んでしまったのです。
それをごまかそうとして山を見ているふりをした嫁は、「おっかさまぁ あの山は なんつう山だべなぁ」と聞くと、おっかさまは、
「あれがン あれはなぁ だんご盗食れぇ喉焼け山(のどやけやま)よ」
嫁は美味しそうなものを見ても勝手に食べることは許されなかったのですね。
嫁は、
「ほぉがン (そうですか)おらほうの(故郷の)当てつけ山に よぉく似ていることぉ」
良く言いましたね。
この本に書いてあるのですが、「嫁二十年、姑十年、亭主、間で三十年」という言葉、ご存じですか?
嫁は主婦権譲渡までに二十年姑づとめで泣かされ、姑は主婦権譲渡で経済力がなくなり、嫁の世話にならざるをえない最後の十年苦労をする。そしてその間に立って亭主は終生苦労をするというのです。
なるほどですね。
昔から今でも小さなものから大きなものまでお家騒動はありますが、大きな問題に発展する前に解決をして置かないと厄介なことになってしまうかも知れませんよね。
か~みたま~え の~みたま~え
むがぁし まずあったと。 ある家でだんごいっぺぇ煮ていたんだと
こんな感じで始まります。話の内容は、
この家でもだんごを煮ていました。(笑)
嫁がうまそうなにおいがするので、一つ食ってしまいました。
うまいだんごは一つではがまんができない。口の中にいっぱいのだんごを入れてしまったとき、お姑さんが畑から帰ってきました。
口の中にいっぱいだんごが入っているので、返事もできない嫁は、悪い病に罹ったと思われました。
ちょうどそこに法印様(修行僧)が通りかかりました。
姑が「うちの嫁が病にかかり、口がきけなくなってしまった」と言って、法印様に見てくれるように頼みました。
法印様は、
「かーみたまーえ のーみたまーえ」と長いことお祈りをすると、嫁様はやっと呑み込み、病も治ったとのこと。
姑さんは嫁が口の中いっぱいにだんごを入れていたのを知っていたのかも知れませんね。
なるほど・・・そういうことか。
庭の白菊
むがぁし まずあったと。 あるとこに たいそう浮気な亭主をもった やさしい女房いたと
こんな感じで始まります。話の内容は、
この話はいらつきますね。
優しい女房に浮気者の亭主、若い妾が登場します。
若い妾があの女房と別れて一緒になってくれと浮気者の亭主に迫るのです。
亭主はいろいろと条件を出して、女房が文句を言ってきたら、そこで三行半を叩きつけてやれば出ていくだろうから、一緒になれるだろうと妾に言います。
でもこの女房は「昔のできた女房」で賢かったのです。
賢い女房なので、亭主は「女房の方が良い」と言い、戻ったということです。
私ならそんな亭主、いらないけど。(笑)
この話には姑は登場しませんが、姑はこんなこと言ったかも知れません。
「亭主が妾をつくるのは、あんたが悪いから」
そういう時代もあったということです。
不文律(ふぶんりつ)
不文律というのは暗黙の了解のようなことで、お互いに了解し合っている決まりのようなことです。
今の時代はこれ、少なくなっていませんか?
聞こえているけれど聞こえなかったことにする、見えているけれど見えなかったことにする。
今は白・黒はっきりとさせないと気が済まないという人が多くないですか?
知っているけれど知らなかったことにする。
これも我慢ができなくて言ってしまうこともありますよね。
障子一枚唐紙一枚の仕切りですから、隣の部屋の音もよく聞こえたことでしょう。けれど、聞いてはいけないことなら聞かなかったことにするのです。
見てはいけないことなら見なかったことにするのです。
それは相手を思いやっての礼儀でした。「女の底力」より
今の時代は余計なことに関わり合いたくないから見なかったことにする、聞かなかったことにするというような感じがします。
今は些細なことでも「言った」「言わない」だとか、「証拠を見せろ」とか言いますよね。
簡単に写真も撮れる時代ですから、たった一枚の写真で人生を狂わすこともあります。
便利なようでぐちゃぐちゃな時代なようです。
まとめ
嫁姑問題も今の時代もありますし、お家柄とか子供との関わり合い方や夫との関わり合い方も昔話から知恵をいただくことはたくさんあります。
女は昔から強かったですし、小さなことの積み重ねで心の中がぐちゃぐちゃになりそうなときは、是非、昔話から学んでみてください。
余計なことは聞かない、見ない、聞かないふりをする、見ないようにすることも大事だと思います。
チクリ合いも余計なつぶやきもどうなのかと・・・。
受け入れることの大切さ
私ごとですが、糖尿病の義理の母を夫と私とで経済的にも支えてきました。
私は若いときからフルに働いて義母のためにお金も使ってきたので大変でしたが、文句を言っていても仕方がないので、受け入れてきたのです。
嘆いていても良い方向には行かないです。
心の中での葛藤はありましたが、できることを毎日繰り返していくだけでした。
義母は亡くなりましたが、今では私の母親を夫は大切にしてくれるので助かっています。
この本の編著の藤田さんもおっしゃっていますが、
自分のあるがままを受け入れ、まわりのあるがままを受け入れ、その中でできることを見つけて、それを生かしていくという考え方、それが何でも否定的に見てあがくより、よっぽど積極的な生き方である。
そういうことです。
小さなことをいつまでも言っていても良いことなどないので、女の底力で生きていきましょう。
