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天城山の狩野の伝説【河鹿(かじか)の屏風(びょうぶ)】

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河鹿(かじか)とはカジカガエルのことで、鳴き声が鹿に似ていることから別名を河鹿(かじか)と言われています。

伊豆天城山に伝わる伝説「河鹿(かじか)の屏風」(編・岸なみ)をご紹介します。

今の時代では山を収入源として、太陽光発電のために木の伐採などが行われていますが、山を守ろうとしたむかしむかしの話をちょっと聞いてほしいなと思います。

天城山の狩野の伝説【河鹿(かじか)の屏風(びょうぶ)】

カジカガエルの鳴き声は鹿の鳴き声ような「ヒュルルル、ヒュルルル」と美しい声です。

雨が多く降る天城山の谷の川床にはたくさんの河鹿(かじか)=カジカガエルが棲んでいたそうです。

むかしむかしのお話(伝説)です。

【伝説】河鹿(かじか)の屏風(びょうぶ)(編・岸なみ)

むかしむかし、天城山の北の狩野(かの)の旧家のあととりに菊三郎という者がいました。

ものもちのどら息子であり、悪気はなくてもなまけものの役立たず、遊び暮らして山や田畑を売りかたげても借金が残るというしまつでした。

そこで菊三郎は最後に残っている山を売るについて山見に出かけていきました。

狩野川の谷を挟んで、美しい木立が昼も暗いほど茂っている谷の川床にはたくさんの河鹿(かじか)が棲んでいました。

この辺りは哀れぶかい河鹿(かじか)の声が鳴きみちて、ここは河鹿沢(かじかさわ)と呼ばれていました。

菊三郎は山見にやってきたのですが、疲れてひとやすみして、沢の岩かげにもたれている間に眠りこけてしまいました。

やがて冷たい手が菊三郎の肩をゆすぶり、菊三郎が目をあけると、おかしな顔をした老人が立っていました。

老人は「菊三郎どの、わしはこの河鹿沢の河鹿の頭領じゃ。せっかくの昼寝のさまたげをしたのは、沢の河鹿どもにかわってお願いをするためじゃ。聞いてくだされ、河鹿沢沿いの両山を売らないでくだされ。

売り渡されれば、この山の河岸の木は伐られて、谷は日照りに渇き、雨があれば川床はにごり水に押し流されてしまうであろう。

河鹿どもが棲む所はなくなりますのじゃ」

なるほどー菊三郎は思いました。

河鹿は緑の深い清らかな谷川を好んで棲む生き物だ。

「のぉ、お願いじゃ」老人はそう言って菊三郎の手をとったが、その手があまりつめたいので、菊三郎ははっとしてわれにかえりました。

さては夢であったかーが、気になってなりません。さすがずつなしの菊三郎も、夢のためばかりともいえず、父祖の山谷を人手に渡すことをはじめてすまないと思うようになっていました。

土蔵の中の書画や骨董、あらゆるものを金に代えて、やりくり算段に駆け巡り、どうにか河鹿沢をどうやら、こうやら売らずにすんだ。

菊三郎ははじめて暮らしの工面をして汗を流しました。

家の中に残ったものものは、売り物にはならない白い屏風が一曲だけ。菊三郎はこの枕屏風を枕元に立てまわして、ひっそりと眠りにつきました。

朝になって、たくさんの河鹿の鳴き声を聞いたような気がしたがー。ふと起き上がると菊三郎は「あっ」と叫びました。

枕元から縁にかけて点々と河鹿の足跡がーそしていつの間にか白い屏風に墨の色も生々しくたくさんの河鹿が谷間にたわむれている絵が生き生きと描かれていました。

「不思議じゃ」菊三郎はそうつぶやきながらその絵にみとれてしまいました。

墨一色の濃淡をものの見事にかきわけた河鹿の群れ遊ぶ絵は、見るものの心に不思議な感動をそそりました。

筆者不詳の名画として、河鹿屏風のうわさは人から人に伝わりました。

都からはるばるやってきた名高い絵師は、この屏風を見て感嘆の声をあげました。

千両箱をたずさえて、屏風をゆずりわたしを乞うてくるものも、二、三にはとどまりませんでしたが、一文無しの菊三郎は手放そうとはしませんでした。

そして何ひとつないがらんどうの家の中から生まれかわったような働き者が第一歩を踏み出しました。

やがて、長い月日が経ち、見事に家を再興した菊三郎は、老いて亡くなりました。

菊三郎が亡くなると屏風の絵は年毎に薄れていき、とうとう消えてしまいました。

河鹿沢という浄蓮の滝の上の方、川床のひらけたあたりでは今でも河鹿の鳴き声を聞くことができます。
(参考 伊豆の民話 岸なみ・民話と伝説 東海)

Googleマップ 河鹿沢

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Googleマップクチコミより あまぎスカイアドベンチャー東急リゾート
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おわりに

昔話に教えてもらうことってありますね。

老人が言ったこと「山を売ってしまうと木は伐られて、谷は日照りに渇き、雨があれば川床はにごり水におし流されてしまうであろう。河鹿どもが棲むことはできなくなりますのじゃ」

この本は昭和32年に発行されていますので、その頃から山を荒らされることを心配する人たちがいたのではないかと思いました。

河鹿どもは今はもういないのではないかと気になりました。

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