昔々のお話

奈良の大仏つくるのにかかったお金はどのくらい?

イヤらしいかも知れませんが、歴史とお金を結び付けて考えてみました。

急に「あれ?」「ここで?」というところで考えてしまうことがあります。変ですかね?(笑)

修学旅行で行った学生の頃には疑問を持たなかった「奈良の大仏」は、いくら掛かったのだろう。

いったいいくら掛かって、どのぐらいの年月とどのくらいの人が関わったのでしょう。

気になったので調べてみました。

奈良の大仏はいつ造られたの?

奈良県奈良市の東大寺大仏殿に鎮座する「廬舎那仏像(るしゃなぶつぞう)、「奈良の大仏」と言われていますが、いつ造られたか分かりますか?

「大化の改新」から100年後の745年(天平17)年に建造が開始されました。

大化の改新とは、

大化元年(645)から翌年にかけて中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)・中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となって行った、蘇我氏打倒に始まる一連の政治改革。唐の律令制を手本として、公地公民制による中央集権国家建設を目的としたもの。皇族・豪族の私有地・私有民の廃止、地方行政制度の確立、班田収授の法の実施、租庸調などの統一的な税制の実施などをうたった改新の詔(みことのり)を公布。大宝元年(701)の大宝律令の制定によってその政治制度は確立した。 デジタル大辞泉より

私が大昔の中学生の時に、修学旅行から帰って来てファイルを作成して賞を取ったのを思い出しました。(笑)

聖武天皇の発願で建造が開始されました。

いったいいくら掛かった?

参考本「ここが一番おもしろい日本史のお値段」編者 歴史の謎研究会 発行者 小澤源太郎

まず大仏の総重量は380トン、全長16m、顔の長さ5mという巨大な大仏さまです。

因みに鼻の孔の大きさは37㎝×30㎝ということです。下から見上げたときに気になったのです。(笑)

大仏は純銅製で建造当時の資料によると、集められた銅は500トンとか700トンともいわれているそうです。

当時の銅銭1枚に使われていた銅の量から換算すると、銅銭1億枚以上もの銅が使われていたことになるそうですが、見当がつかないですね。
奈良の大仏は、

関西大学の宮本勝浩教授が試算したところ、500トンの銅、人件費、住居費で3363億5000万円かかるとし、このほかの費用も含めると、さらに費用は増えるという。建築エコノミスト、森山高至さん監修「巨大建築物の世界史」より。

銅だけではなく、鈴、金、水銀、木炭なども使われています。

どうやって集めたの?

聖武天皇が「国の銅をすべて使って大仏を造る」と宣言をしたので、金は今の長崎県の対馬国から、銅は山口県や関東地方からと全国から集めたようです。

工事には260万人が関わりました。

工事に必要な予算は当時の国家予算の3倍以上だといいます。

(平成30年国家予算は約97兆円!?)
ー行基-

地元の昔話にも出てくる行基(ぎょうき)という僧がここに登場するとは思っていませんでした。

行基は奈良時代の僧で、私は行基が発見したという温泉の話の本を読んだことがあります。

どうしてそこに繋がっているのか良く分からないのですが。

行基は大仏建立の費用の不足分をまかなうために全国を行脚して庶民から寄付を集めました。

朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。Wikipedia

もともと僧とは認められていなかったそうで、勝手に僧の肩書を名乗っていたといいます。

人々のために尽くす姿に庶民から支持を集めました。

まとめ

奈良の大仏は745年に260万人(当時の日本人2人に1人が参加)で、当時の銅銭1億枚以上と鈴、金、水銀、木炭を全国から集めて造られました。

当時の国家予算の3倍以上の費用が掛かったと言われています。

行基という僧が全国を回り、寄付を募りました。

聖武天皇は国中の銅を集めて大仏を造ると宣言をしてやり遂げたということですね。

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