少し前までは人生の折り返し点は40代と言われていたような気がしますが、今は50代が人生の折り返し点と言われるようになりました。
人生100年!?人生100年時代の到来です。
だったらもっと好きなことやってしまいましょう。仕事にしても、趣味にしてもやりたいことができますよね。
周りを見ていて感じることは、仕方がないのかも知れないのですが、子供のことをいつまでも干渉している親が多いような気がします。
子供と良い関係でいることは大事なことだと思いますが、自立した子供のことはいつまでも干渉はしない方が良いと思います。
子供が家庭を持っていたらなおさらです。結構子供の方がしっかりとしているのではないですか?(笑)
自分が打ち込めることを始めてみましょう!
古い話ですが、安政十二年(1800)頃から十七年かけて日本全国の測量を開始した伊能忠敬のことを書いてみたいと思います。55歳からの挑戦です!
伊能忠敬が日本地図歩測開始は55歳、50代は人生の折り返し点
安政十二年(1800)頃に幕府が地図の作成を検討しました。
この頃になると外国から船が度々日本近海に来ていました。伊能忠敬が幕府に地図の作成をしたいと願い出たのは55歳の頃です。
享和元年(1801)4月に出発しました。
17年かけて日本を歩いて測量をして地図を作成しました。
完了した時は忠敬は74歳。この年に亡くなるのです。忠敬の弟子たちが「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」を完成しました。
歩いた距離は地球一周分と言われています。
伊能忠敬は学問的欲求から地球の子午線(しごせん)一度の長さを知りたいと思い、測量をしたいと思ったそうなので、頑張る50代でした。
江戸時代は武家や商家は一家の主が50歳前後になると、長男に家督を譲っていました。伊能忠敬も50歳で30歳になった長男に家督を譲りました。
そして自分の目標を達成するためにセカンドライフを充実させていきました。
人生の折り返し点
50代が人生の折り返し点ならばずっと続けられる趣味を見つけたり、ボランティアを始めたり、資格取得に挑戦をしたり、本気で取り組んでみたいですね。
取り組みたいことがあったら、3ヶ月でここまで達成させるとか、数値目標を決めて挑戦をしていくと良いかも知れませんね。
私の場合はブログを書くのに、1日に2時間ぐらいしか時間が取れないことが多いので、日中に気が付いたことを常にメモってます。
そうでないと継続が難しいです。パソコンに向かってから何を書こうかでは進みませんから。
そしてできるだけ更新を続けるという目標を設定しています。
夕食をダラダラと食べることもなく、お酒も飲みません。
目的に向かってゆるく進んでます。(笑)
<伊能図への道のり>
佐原町並み交流館様より
伊能忠敬と伊豆
伊能忠敬のことを学校で習った時は、「そうなんだ~」と思ってテストをして終わりでしたが、改めて歴史の本を読んでみると、自分も歴史を重ねたからなのか重ねて考えてしまいます。
すごいな、伊能忠敬!
伊能忠敬が伊豆に測量に来たのは、享和元年(1801)4月、正確には江戸を出発した日です。
伊東市に滞在したのは、5月5日(太陽暦6月15日)、それから八幡野村の名主岡八兵衛宅に行き、2泊しています。
このとき伝説として残されている「血塚(ちづか)」と「椎の木」について触れています。
「それより少し行けば、川津三郎石碑あり。文字も見えず。
古碑なれども後世の人のたてしものなり。道の右の山上に大椎木あり。
八幡野三郎・近江小藤太、川津三郎を射殺せし所なりと。
往古は三本なりしが枯れて三股の大椎一本残れリと。
此所湿気多く蛭甚多し」
それから約10年、伊能隊として第9次となる伊豆七島の測量が実施されることとなりました。
この時は伊能忠敬は71歳となっていて、高齢ということと、体調にも問題があったので、本人は測量には参加しなかったようです。
伊豆城ヶ崎海岸の測量は文化12年12月1日~です。
門脇鼻(門脇灯台)、燕島(つばくろじま)にも行っています。
燕島(つばくろじま)には毎年夏にアマツバメが渡ってきます。

測量はその後、一碧湖、一里塚、伊東市の中心部に行っています。
文化12年12月7日午前中に一碧湖の大池、その後、東浦路を順測しました。
まとめ
いかがでしたか?歴史に学ぶ、伊能忠敬の人生から今の50代の人達も大いに刺激を受けて、何かに打ち込んでみると良いと思いますよね。
自分の人生を賭けながらの測量を行った伊能忠敬のように生きることはできませんが、打ち込めることは見つけていきたいです。
子供も成長し、家庭を守ってきた主婦の方も、何かやりたいことをやってみることが必要なのではないでしょうか。
私も自分に言い聞かせているのかも知れませんが、社会の常識にがんじがらめで生きてきたので、これでいいのかと思ったりするのです。
本当に〇〇真面目ですから。もう少し自由で良いのかも知れません。
と、言っても家族や他人に迷惑をかけるような生き方は絶対にしたくはないと思っていて、自分のルールを少し変更しようかということです。
やってみたいことは見つけましたので、実行していきます。
他人のためではなくて、自分のために生きていきたいですね。
